軽 井 沢 温 泉 物 語


第4章 歴史を作った・星野温泉
       (星野温泉は100年近くの歴史を経て、現在は「星のや軽井沢」として
        歴史的な第一歩を踏み出しています。)



星野家は明治時代、佐久市岩村田で生糸業を営むかたわら、沓掛で製材業をも始められ、明治37年(1904) には温泉開発にも意欲を持たれるようになりました。
そのころ、突然の異常気象が軽井沢を襲いました。明治43年 (1910) 8月9日より降り始めた雨は、空の底が抜けたと思われる程の豪雨となり、9昼夜降り続いたので、軽井沢一帯は大洪水となり、湯川の上流のシラス地は火山灰土のために山津波を起こして、信越線の鉄橋も流失してしまい、湯川の川筋に存在した製材工場もことごとく押し流されてしまいました。また、平坦地で水はけの悪い新軽井沢・旧軽井沢一体は一面湖のようになって交通途絶したので、政府の命令で新潟県から工兵隊が出動するという騒ぎとなりました。

明治44年(1911)
この水害を契機として赤岩鉱泉・塩壺の湯一帯を荻原寛治氏より先代星野嘉助氏が買い取って、ささやかな営業を始められました。

大正2年 (1913)
そして、さらに熱い湯を求めて、塩壺で温泉の掘削に着手されたのが、温泉狂いの始まりです。

大正3年 (1914) の春、優雅なお宮風の浴場が完成し、当初は明星館として知られていました。 新築当時の浴場内の写真はホテル・ロビーに掲示されています。
当時、沓掛宿(今の中軽井沢)から星野に至る道路には人家は未だなく、冬の雪道には郵便配達の足跡のみが点々と残されたものです。

大正4年 (1915) の春には、鎌倉から円覚寺管長来訪、不老湯と命名された。

大正6年 (1917) 天狗タバコと称する民営煙草の創始者。岩谷松平という実業者が、一族郎党を引き連れ避暑がてら一夏をすごした。自ら岩谷天狗ととなえ、常に真紅の衣服をまとい、豪奢なふるまいで、創業間もない星野温泉には異様な雰囲気がかもしだされていた。風呂が大好きで、当時沸かし湯であったので、源泉と沸かした湯に交互に入浴を楽しんでいました。

さて、大正3年7月28日に勃発した第一世界大戦が終わると、我が国の経済界は大恐慌をきたし、企業の倒産が相次ぎ、加えて温泉掘削も技術的な難関に逢着しました。

大正12年 (1913) 上田から宮造りの大工を呼び神社風の浴場を建て明星館と呼ばれていましたが、昭和35年頃に、それまでの明星館を星野温泉ホテルと改称されました。

星野温泉と自家発電

当時はランプでしたが、電気の来ない明星館では、毎日のランプのホヤ掃除は危険で大変な手間のかかる仕事でした。沓掛の村には長野電灯から漸く送電されて、風が吹いても消えない明かりがついたといって、騒がれていた頃で、電灯の有り難さがわかりかけてきたころでした。長野電灯会社へ星野温泉に電灯を引いて欲しいと申し込んだところ、村から2キロも山奥へ幾本もの柱を立てて送電するには、当時の金で一万円余はかかるといわれたとのこと。

やむなく専門家と相談したところ、星野製材所の動力に使っている木製水車で、発電機を回したら良かろうということで、湯川の水利権を手に入れて、導水管を地下に引いて、ダムを作りました。発電機はドイツのアルゲマイネという会社から直流百ボルト・10キロワットの発電機を買い求め、大正6年 (1917) 逓信省の認可を受け、自家用発電所として発電が始められ、今までランプであたものが、初めて文明の光に浴することができるようになりました。また、木製水車は、停止中水に浸かっている所は自然に重くなるために、水車が一回転する度に速度の変化が伴うので、蛍の光のように明るくなったり、暗くなったりしたものである。それでもランプの光よりは、どれだけ有り難かったか計り知れないものでした。

昭和2年 (1927) 温泉の掘削を一時中断するとともに、本格的なタービン水車で発電することを計画して、測量を始め旅館の下に水路を通して、表の池を貯水池とし、取水・放水路を作ると共に、日立製作所に水車発電機・ガバナー等一切を注文し、昭和4年 (1929) 6月10日,三相交流50サイクル、出力62.5キロボルトアンペアの発電所が完成した。今もなお毎日発電を続けている。毎時平均40キロワット発電しているとすれば、一日960キロワットになり、一カ年35万4百キロ、実に星野温泉の今日あるのは、この自家用発電のお陰といっても過言ではありません。 ( 1972/2/11 「やまぼうし」より )

このようにして豊富な湯川の水を利用しての発電所は2個所にあり、最初の発電に利用された湯川の水は導水路からホテルの地下に入り、そこから明星の池に溜められます。そのダムが実は明星の池で新しい発電所への貯水池なのです。ダムからの水は、導水管に注がれ新しい日本最初の本格的自家用水力発電所で、貴重な電力を発電します。 現在の野球場広場は昔は池で建築用の貯木場でした。


温泉狂いの温泉掘削
先代星野嘉助氏は軽井沢に温泉があれば、鬼に金棒であると思い、浅間山は活火山であるし、付近には荒船山、鼻曲山などの死火山があるのだから、温泉が出ないはずはないと信じ、さらに熱い泉源を求めて、掘削を始められたのです。
そのころは深井戸を掘るには、もっぱら上総掘りという幼稚な手掘りで掘る方法が一般的に用いられていました。千葉県君津郡から石井峯次郎という人を呼び寄せ、塩壺を中心に10本の井戸を掘ったのですが、地質が安山岩のために堅くて失敗の繰り返しでした。
やむなく、星野家家業の製材業で柏崎の日本石油に箱材を納入していた関係から、新潟の中野寛一氏の世話で、本田勇平という老練な技術者を招き、ロービング式掘削機を買い求め、新浴場の横に11本目の井戸を掘り始めました。掘削は失敗に失敗を重ねながらも、大正2年 (1913) から昭和2年 (1927) の春まで続けられました。
温泉を掘削する前には、よく学者の意見を求め、また井戸の記録をも調べては、慎重に掘削を重ねたのですが、当時は機械も悪く、技術も幼稚であったために、いたずらに歳月と資材が乱費された次第でした。
当時、ロービング式掘削機で温泉を掘ったのは、木製水車による動力によったもので、この11本目の井戸は2年半の歳月をかけて、地下952尺掘ったのですが、地上で漸く40.5度しか得られず、当時の大不況の影響もあり、ついにここで掘削中止に追い込まれたのです。しかし、幸い昭和4年 (1929) に漸く完成した待望の50キロの自家用発電の中から毎時18キロを温泉加熱に使って、昼夜をわかたず、絶えず摂氏42度の温泉にすることが出来た時こそ、温泉狂いの不退転の決意が漸く報いられた瞬間であり、その喜びのほどが推察されます。

その後は、昭和12年 (1937) 岩村田の星野商店と製糸場を廃業、経営資源を星野温泉経営に集中されました。

技術の進歩のお陰で、温泉掘削も順調に推移し、現在では星野温泉ホテル裏山の数本の源泉井戸からの摂氏46〜47度の天然温泉が、3本の大きな保温タンクに集められて、そこからホテル内の大小多数の浴場に配湯されています。
太陽の湯、せせらぎの湯に掲示されている源泉名は星野2号・星野4号・星野5号・星野新6号・滋賀1号・共同井戸の混合泉で、これらの数本の源泉からの湯が、資源維持のために汲み上げ能力を押さえつつ、このタンクに集められて効率的に配湯されています。

星野温泉の泉質と素晴らしさ
この、星野温泉ホテル内にある、明治44年に開湯した歴史のある名湯は、当初より”美人の湯”としても知られ、その後の歴代にわたる気配りの積み重ねで、今日の素晴らしい太陽の湯に成長しました。その詳細を下記に御報告申し上げます。どうかその素晴らしさを御体験下さい。

(1)泉質
温泉の生命である泉質は、ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)で、単純泉の中に天然炭酸ガスが含まれています。泉温は46.6度、PH7.2のアルカリ性の湯です。この泉質は同じ湯川沿いの小瀬温泉とほとんど同じです。草津や万座温泉は逆に超酸性の湯で、草津・万座の帰りに星野温泉で肌を整えるとまた一段の効果があります。
浴用の効能
神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・慢性婦人病・疲労回復・健康増進・きりきず・やけど・慢性皮膚病・虚弱児童
飲泉の効用
慢性消化器病・慢性便秘・糖尿病・痛風・肝臓病
高血圧、神経痛、冷え性などに効果があり、肌がなめらかになります。浴後のスキンローション不要。
浴場内に充満する温泉の精気を利用しての吸気浴も効果的です。

(2)大浴場二つは同じ大きさ
「太陽の湯」、「せせらぎの湯」とサウナ付きの同じ大きさの二つの大浴場があります。「太陽の湯」には滑り台付きの水風呂があります。同じ大きさの大浴場が男女ともに二つあるので毎日の清掃も行き届いています。大浴場の総ての浴槽の湯は毎日全量新湯と入れ替えられています。
「太陽の湯」の浴場と豊富な源泉を象徴する日本一の廣い湧き口、および
「せせらぎの湯」浴室内部の左側と、右側、および湧き口、それに明星池越しの全景です。

(3)女性用が大きい
それぞれの大浴場とも、男性用・女性用とも大きさがほぼ同じなのは女性客に大変好評です。 これは、温泉町伊豆修善寺からの女性客の率直な驚きでした。

(4)豊富な湯量
湯船から溢れでるお湯に天然温泉の有り難さを実感します。自前の豊かな源泉群のお陰です。そのため他の有名温泉では必ず見られる、お湯の循環装置、いわゆるジェットバスとか、濾過装置での誤魔化しが皆無です。

(4)深さが90cm
温泉大浴場としては珍しい、深さが90cmもある大きな湯船は,肩までたっぷりつかることができます。星野温泉では、前代から温泉の浴槽の深さをなるべく深くしています。 深ければ深いほど、皮膚からの浸透圧が強く、神経痛や、身体に良い影響を与えてくれるからです。ドイツやカナダでは150センチ以上の深さですが、溺れて事故が起きますので、90センチに調整されています。
本来人間の体温は摂氏36度程です、そして入浴時の丁度良い熱さは41度(日本人のみ)ですから、大勢の入浴客が有ればあるほど、温泉の温度は失われて低くなります。そこで、浴槽を深くして湯量を豊富にしておくと、急激な温度の低下防止にもなりますので、伝統的に浴槽の深い星野温泉です。

(5)水位の自動調節への配慮
入浴して不思議だったのですが、大勢が一時に入浴しても満杯の水位が変化しません。これは、大きな湯船と湧出する湯量の大きさも勿論ですが、男子と女子の大浴場が底からパイプでつながれているからでもあります。このため、どちらかに大勢の方々が入浴しても常に水位が自動的に調節できる配慮がなされています。

(6)天井を流れる摂氏16度のせせらぎの空調効果
見上げる天井を流れるせせらぎは、単なる明かり採りでもアクセサリーでもありません。浴場のガラス屋根に水を流しているのは、水の温度は一年中常に同じ16度ですので、冬には結露防止になりますし夏にはクーラーになるからです。

(7)大口径、補助注湯パイプ
大浴場の壁に大口径の銅製のパイプが見えましたので不思議に思ったのですが、実はこれは毎日のお湯の入れ替え時に使われる注湯口でした。大浴場の総ての浴槽の湯は毎日全量新湯と入れ替えられていますが、僅か40分で新替完了です。

(8)明星池
大浴場の前の明星池に架かった橋を渡っての外来入湯です。
明星池からの流れにみられる豊富な水量は、源泉と併せて貴重な電力を発電する星野温泉の大きな財産であり、野鳥や水鳥の楽園でもあります。

(9)自主開発の専用源泉群と大きな保温タンク
多くの有名温泉町では、少ない源泉を多数の温泉宿が分割利用しています。そのため、僅かな源泉からの湯をジェットバスなどを利用して、濾過・循環・再利用しているのが隠れた実体だと思います。星野温泉では自主開発の数基の源泉と、大きな保温タンク3基の活用により短時間でのお湯の新替えが可能となり、しかも計画的な温泉資源の活用が可能となりました。

(10)野鳥の森での森林浴との相乗効果
星野リゾートの鬱蒼とした野鳥の森、そこにすむ鳥たちの姿(星野会長撮影の傑作デジカメ写真集)、ネイチャーウォッチングも都会人の心の安らぎに欠かせません。
Picchio (ピッキオ)に参加して、軽井沢の自然の素晴らしさを体感しましょう。

(11)資源保護と自然との調和
『温泉は生き物です。常に餌をやり可愛がり、感謝の気持ちが大切です。色々と工夫をこらして、限り有る資源保護に努めております。その他幾多の調節をこらしておりますが、これらは星野家歴代の努力の積み重ねであり、先代からの沢山の実験や苦労をして今日の星野温泉になりました』 これは、ロータリアンでもある星野リゾート会長の自称「頑固親父」第4代星野嘉助氏の温泉に賭ける哲学です。
星野温泉ホテル敷地内の一戸建て軽井沢ロータリークラブ事務所です。この軽井沢ロータリークラブの事務所は、星野温泉でフィンランドからコテージを60棟買い付けられた時に、その残材で建てて星野嘉助ロータリアンがクラブに寄付されたものです。)

(12)年中無休、早朝から営業の外来入湯
大浴場が二つあるので、混雑でホテルの宿泊客に迷惑を掛けることはありません。
外来入湯入り口の信州そばも味わえる「明星庵」で料金を支払い、腕輪キーを受け取り、脱衣所のロッカーへ、星野温泉の名入り手拭いは \150 で購入可能。
入浴:7時30分〜22時、年中無休
料金:外来=大人 1,000円
交通:中軽井沢駅から車で約5分
電話: 0267-45-6000
住所: 〒389-0111 長野県軽井沢町長倉2148番地
海抜: 985.5M (参考:軽井沢駅前 940M)
北緯: 36度21分7秒 東経 138度35分6秒

  星野リゾート ホームページ
      http://www.hoshinoresort.com/
      お問い合わせ:http://www.hoshinoresort.com/contact/index.html

  電話 星野温泉ホテル        0267-45-6000
      ホテルプレストンコート    0267-46-6200
      Picchio (ピッキオ)      0267-45-7777
      軽井沢高原教会        0267-45-3333
      石の教会 内村鑑三記念堂 0267-45-2288


参考
初代 星野嘉助氏  1849〜1919
弐代 星野嘉助氏  1875〜1931
三代 星野嘉助氏  1905〜
四代 星野嘉助氏  1933〜

引用資料
    やまぼうし 星野嘉助氏著
    軽井沢案内 1999年版 軽井沢町観光商工課

平成11年 8月作成
平成12年10月24日修正追加


第1章 まえがき
第2章 軽井沢の歴史
第3章 浅間山と軽井沢の温泉の歴史
第4章 歴史を作った・星野温泉
第5章 秘湯・小瀬温泉
第6章 星野とともに・塩壺温泉
第7章 掘削技術の進歩で・千ヶ滝温泉
第8章 北軽井沢 ・President Resort の温泉