家康公の危機を救った満光寺とニワトリ
家康公の危機を救った満光寺とニワトリ
1570年頃(元亀年間)家康が若い頃、武田信玄の軍勢に追われて逃げる途中、満光寺に一泊し、一番ドリが鳴いたら起こせと頼んで寝ました。ところがその夜半に突然ニワトリが鳴いたので、住職が家康一行を起こした。一行は大急ぎで闇の中を出発した。夜明けと共に武田軍が寺を包囲したが、家康一行は危機一髪命拾いした。 家康はこの恩返しとして、満光寺のニワトリに3石の扶持を与えられた。その後、1649年(慶安2年)家光から寺領20石が与えられた。 「山の吉田の満光寺さまのとりになりたや、にわとりに」と、今でも民謡として歌いつがれている。 庭園 愛知県指定文化財 小堀遠州流で、鶴亀蓬莱式の回遊林泉庭園。東庭200平方m、北庭800平方m。高くそびえる裏庭の斜面を利用し、書院に迫るように築かれている。 (1)築山 サツキの刈り込みが沢山使われ、開花時(5月下旬)は最も美しい。夏はスイレンと百合。秋は紅葉。冬は南天や万両の赤い実が、また雪景色は特別の美しさを作る。 (2)石組み 全体として山岳の姿、自然の景観を石組みで表現している。築山、滝と流れなど石組みや、庭の中心をなす正面中腹の三尊石の石組みは見事。三尊石の両脇に大小の滝を配し、左手に大滝の石組みを作り最大の景観をみせる。 日本全国より石工さんが見学に訪れています。 (3)池泉 書院の前に細長い心字池を掘り、東西の両端に出島を張り出し、中央に中之島を配し、その手前に礼拝石を据えている。 青龍山満光寺の略史 0860年(貞観2年) 平安時代に天台宗の寺として創建される。 1500年頃 室町時代末期、戦国時代の戦乱に焼かれ、廃墟となる。 1532年(天文元年)この一帯の領主鈴木長門守によって、曹洞宗の寺として現在地に再建される。 1668年(寛文8年)に客殿と衆寮が 1680年(天和3年)に大庫裏。 1685年頃 薬師堂、土蔵、車屋、馬屋、大門塀が建てられ盛大になる。 1707年(宝永4年)現存する3門が建てられた。 1782年(天明2年)火災によって、諸堂が焼けてしまい、山門だけが残った。 1784年(天明4年)伽藍が再復興されたが、かっての面影はなく、今は本堂と山門だけが残っている。 明治政府の敬神尊皇の政策によって、排仏の動きが高まり、多くの仏像や寺が失われた。 満光寺も多くの末寺が廃寺にされたが、田沢村の檀家に守られて、廃寺を免れた。 現在、本堂と書院の間の座敷を田沢寮と名ずけて記念している。 仏像 十一面観世音菩薩は本尊。 薬師如来は延暦寺3世慈覚大師の真作。 釈迦座像は末寺だった金光寺(満光寺より創建は古い)が、明治時代に廃寺にされ、村人が守っていたもので、後に満光寺に移された。 交通 151号線鳳来町役場を257号線に入り、浜松方向に走行7km、左側の街道沿い。 〒441-16 愛知県南設楽郡鳳来町下吉田字田中140 電話: (05363)4-0116 |